人は自分の嫌いなものを問題点だと思いたがる

ふうーむ。実は私の場合、この記事からは全然別の姿勢を感じたのだった。「高校野球らしさ/高校生らしさ」を押しつけようとする姿勢ぢゃよ。

「取材してやる」という姿勢 (POLAR BEAR BLOG)


いつから高校野球はこんなふうになってしまったんだろう。最も驚いたのは、取材時間中に携帯電話をさわる選手が複数いたことだ。試合終了後、報道陣には合計23分間の取材が許されている。勝ったチーム、負けたチームともに監督と指名選手がお立ち台へ。そのほかの選手には取材ルームで話を聞くことになるが、当然ながら試合で活躍した選手に記者は集まる。取材されず、手持ちぶさたになったのか、一刻も早くメールチェックをしたかったのか。イマドキの高校生といえばそれまでかもしれないが……。ちなみに、取材ルームは報道陣でさえ、携帯で話していると係員から怒鳴られる。
どうもこの文からは、「俺たち記者が取材してやってるのに、他のことに気を取られるとは何事か」というような態度が感じられるのです。

なぜ私がそういう態度を感じたかと言うと、簡単に言えば、私が「高校野球のイメージに代表されるような『高校生らしさ』を現実の高校生に押し付けようとする風潮」を蛇蝎のごとく嫌ってるからであります。高校野球が嫌いなのもそのせいね。20年以上昔から一貫して嫌い続けちょるよ。でまあ、上の文章だと「いつから高校野球はこんなふうになってしまったんだろう」のあたりにこの「高校野球らしさ/高校生らしさ」臭がもーぷんぷんしてて、「ひたむきに白球を追う球児(のように取材にもひたむきになれ)」的な意図を行間から感じ取ってしまう。
でまあ思うんだけど、「何を問題点として感じ取るか」って、「自分が何を嫌ってるか」が如実に出るよね。私はそんな具合に「高校野球らしさ/高校生らしさ」が大嫌いなので、そういうのを押し付けようという態度が少しでもあると「それがいかんのじゃあっ」と思ってしまう。しかし別のものが嫌いな人だと、そっちを問題だと思ってしまう。シロクマさんだと「マスコミの上から目線」が嫌いなんだよね。私はそれって全然気にならないので、上の文章からも特に問題としては感じない。それより問題は高校生らしさの押し付けだ。
とか言う風に、「何を感じ取るか」には結構その人の考えとか思想とかが出るよねというお話でした。