枠組みの打破

日本人って、既存の枠組みやフローがあって「この枠組みの中で上手く動かす仕組みを作れ」って言われたら、恐ろしいまでの能力を発揮すると思う。でも、「枠組み自体を変えたらもっと上手くいくんじゃね?」て発想するのは、かなり苦手な気が。

土屋陽一, 「「金融・資本市場競争力強化プラン」と国内取引所の課題」p72-73, 証券経済研究 第62号(2008.6)
拡張性が低いのは、これまでの取引方法や取引慣行をあまり見直さずに、ITシステムを導入・構築するという姿勢からきていると考えられる。人間が手作業で行ってきた業務フローを、コンピューター・システム上に再現しようとしてきたのではないか。これまで人間が構築した精密なフローがあるからこそ、システムを完璧にしようとする考え方が強く、ITに適した業務フローへの転換や業務の標準化が行えなかった可能性が高い。

いや、それが本当に日本人の文化的特性なのかは正直よくわがんねえ。自分にそういう性質があるのは明らかなんで、それに引きずられてそう思ってるだけなのかもしんない。ただ、例えば日本の携帯電話と iPhone を比較してのありがちな議論の論調なんか、このステレオタイプに綺麗に沿ってると思うんだよなー。
ちなみに私がどれぐらい枠組みに囚われてるかってえと、小説版ジュラシックパーク の恐竜監視プログラムが「当初の恐竜の数に達したら数えるのをやめる」仕様になってるって話を読んで「おお! 自分がプログラム作っても絶対そう作る自信があるぜ!」と感動したほど。小説版では、恐竜は全部雌だけで、増えるはずが無いから、恐竜の数が減ってないかさえ監視してればいい、という発想で監視プログラムが作られてたんだよね。実際には増えてたんだけど、それを検知できなかった。
枠組み自体が変化しなきゃいけない時代だと、私みたいな「枠組みの中でいかに素晴らしいものを作るか」的発想の人は、なかなか適応が厳しいと思う。いったん安定した枠組みができて、そこに最適化しようってフェイズに入ると、十二分に才能を発揮できるんぢゃが。

ジュラシック・パーク〈上〉 (ハヤカワ文庫NV)

ジュラシック・パーク〈上〉 (ハヤカワ文庫NV)