沸点を下げるメカニズム

なぜ低い沸点が必要とされているかを考える前に、沸点がどうやって下がっているかのメカニズムについて考えてみませう。はてブでいろいろ興味深いコメントをもらってるので、それを読みながら。

b:id:garahebisan : 本当にハゲ自体に笑っていたのかな。もっと「自重ww」「やめいww」「ハゲいうなww」的な笑いだったのでは。

おそらくハゲ自体が面白いというより、「みんながハゲネタで盛り上がってる」という空気が楽しかったんぢゃろう、と私は捉えてます。
そういう空気に参加する人が増えると、空気の楽しさも増して、ますます参加者を呼び込むことになる。言い方を変えると、沸騰する人が増えると、沸点が下がり、ますます沸騰する人が増える。この正帰還、人によってはスパイラルとか悪循環と言うかもしれんけど、それで際限なく沸点が下がっていく。しかもまた、沸点が下がってくこと自体も楽しく感じられる。そういうメカニズムが働いていたんだろう、という推測です。
また、このことが id:harutabe さんへの私なりの回答にもなってるんじゃないかと思っとります。

b:id:harutabe : ニコニコやVIPなんて「ハゲ」みたいな米にwww連発する何のうたごころもない低脳ばっかだから、とか訳知り顔で語る奴が増えてイライラしてる。ネットのコミュニケーションはお約束の使いまわしが一番楽しいのに

私は、上に書いたような「正帰還で沸点が下がってく空気を楽しむ行為」を「コミュニケーション」とは呼ばないんですよ。もちろんこれはターミノロジの問題で、それを通常のコミュニケーションと区別しない人が id:harutabe さんも含めて相当数いることも承知してます。しかし私ははっきり区別してる。それどころか、通常のコミュニケーションは歓迎だけど、空気の沸点降下を楽しむ行為の方はそうでない。率直に言って、あまり面白いと感じられんのですよ。
お約束の使いまわしが楽しいと言う話についても、私にとっては、お約束を自分なりにアレンジするのが楽しいんだよね。全くアレンジの無い完全なコピーには、全く面白さを感じない。私が面白い(と自画自賛する)アレンジを思いついても、それが既出だったりするとすげー悔しい。逆に私が特に面白いと思うのは、テンプレートをほんのちょっと書き換えただけで文章としてはほとんど一緒なのに、でも全体の意味が全く変わってしまう、その発想は無かった!と言いたくなるようなアレンジです。そういうアレンジを自分でも書きたいわなあ。
この感じ方の違い、何を面白いと感じるのかって話は、私にとって10年以上昔から考え続けてる大きなテーマです。明らかに私と感じ方の違う人が世の中には結構いる。そういう人たちを低脳とは呼ぶつもりはありません。ただ「違う」んですよ。その違いがどこから来たのか、その違いから生じるものは何か、そして違う人が混在していることは何に影響するのか。
この「面白さ感覚の違い」についての話の一環として、2年ほど前に 驚異の笑いと共感の笑いの違い について書いたことがあります。その辺に絡むのが id:y_arim さんのコメントか。

b:id:y_arim : 同調圧力の強いコミュニティ内ではむしろ沸点は下がるんだと思う。ちょっと関係ないけど、http://kaoriha.org/nikki0012.htmの4日参照/あと、結束の確認として、沸点の低さを要求されることも。「これで笑えないと仲間はずれ」

まさにそれぢゃよなあ。共感(シンパシー)の笑いてのはそういうもんだと思う。お約束の使いまわしで笑えるかによってお互いが仲間であることを確認する。だから共感の笑いは id:aureliano さんが言うように 笑いとは差別のことである なんてことになりやすいし、それを dankogai 風に表現すれば 笑うことではなく嗤うことにはまってしまった てことになるんだと思う。一方、驚異(ワンダー)の笑いてのはそれとちょっと違う。私が驚異の笑いの方を好むのも、それが一因なのかもしらん。
この辺にはかなり重要なものが潜んでそうな気がするので、もっと深く掘り下げて考えてみたいと思っちょります。共感の笑いが重視されやすいコミュニティ・そうでないコミュニティの違いとか、興味深い話がいろいろありそうだと見てます。