アイデンティティ

たまたま今日、個人とか自分、自分探しについての話をいくつも読んだので、思ったことを書いてみる。

前者は「自分とか個人なんてものは一定せずに変遷するものだから、それを固定しようと言うのが間違ってる」という毎度おなじみ養老節。対して後者はある意味この対極で、個人というものを強く出していこうと言う話。
じゃあ私自身はどうなのかと考えてみる。私はどうも、「自分が自分であること」に絶対の自信を持ってるみたいです。
アイデンティティって言葉ありますよね。日本語で「自分のアイデンティティ」とか言うと「自分が他人と差別化できるところ」的な意味で使われることが多いんですが、もともとの意味は正反対と言ってもいいくらい違います。前に duke から教わったんですが、identity って語はラテン語で「同一」を意味する identitatum を語源としてるんだそうで、例えば identical って形容詞は「全く同一の」という意味になります。じゃあアイデンティティってのは何か。アイデンティティってのは、「10年前の自分と今の自分が同じ自分である」みたいな意味なんだそうです。時間を超えて自分が自分として連続してるということ。それがアイデンティティなんですね。心理学では自己同一性と訳されます。
私の場合、自分の中で何が連続してるかってのは実際自分でもよくわかってないんですが、それが何であってもとにかく不変なことは間違いなく、今も昔も将来も自分は自分である、という根拠の無い自信がやたらと強くあります。自分は存在しているだけで自分である。確かに自分はあまり出来の良い人間じゃないかもしれんけど、でも自分だ。自分を探す必要なんてない。自分は、昔から自分だったし、これからも自分のままだ。
いや、養老節も理解はできるんですよ。人間なんてどんどん変わってるもので、不変のものなんて原理的に存在してない。例えばトータルリコールみたいに記憶を入れ替えれば別人になってしまう。しかも人間の記憶なんてあやふやなものでだから、毎日少しずつ別人になり続けてるとも言える。それは理屈として良く理解できます。なんですが、そういう理屈としての理解を遥かに超越して、「自分が自分であることに一片の揺らぎもない」というわけのわからん自信が、おそらく物心ついた頃から、私の中にしっかり根を張ってます。この根拠レスな自信のせいで厄介な問題もいろいろ起こしてるんですが、でも将来的にもこれはこのままだろうなあ。

実際私も性格とか行動パターンとか年とともに結構変わってると思います。なんですけど、そういうものがどんなに変わっても、それでも自分が自分であるという自信は全然揺るがない。あるいは、そういう根拠の無い自信があるから、性格だの行動パターンだのといった「表面的なもの」が変わっても泰然としていられるのかもしれない。似たような話として、私はバリバリの唯物論・機械論者で、人間の自意識なんてものは脳のシナプスの電気・化学作用によって作り出されてるに過ぎないと考えてます。この考え方と「自分が自分である」自信とは明らかに相反するんですが、でもそれも問題無い。唯物論を正しいと認める程度じゃあ私の自信は全く揺るがんし、自信があるから唯物論を抵抗無く受け入れられてるのかも。

まあそういう幻想チックな自信があるせいか、私は基本的に「自分が他人と同じでも違っていても構わない」という立場を取ります。世の中、世間に自分を合わせることで「世間と同じ」というアイデンティティを纏う人もいれば、世間に反抗することで「自分は他と違う」というアイデンティティを手に入れる人もいますな。でも私の場合は、そんなんどうでもいい。世間に流されていようが、反抗していようが、自分が自分であることに変わりはない。なので、自分にとって都合が良ければ世間に妥協・迎合することもあるし、気が向かなければ切り捨てる。気まぐれですんません。
また、DESIGN IT! では「他人に自分の存在を知ってもらうためには日々自分を外部・社会に向かってアピールしていく必要性を書きましたが、そんなしち面倒くさいこと(僕にとってはもはや面倒なことじゃないけど)をし続けなきゃいけないのは、そうする以外に社会に対して自己を固定化する方法がないからです」と書かれてますけど、私にしてみると「社会に対して自己を固定化する必要なんて無いぢゃん」と感じられてしまうわけです。他人が自分の存在を知ろうと知るまいと、自分が自分であることは揺るがないからね。なのでこの自信過剰は良くない結果も引き起こします。他者に対して自分をアピールしようって意欲がどうも沸かない。これは社会生活を送る上でかなりの不利として働きます。私もその自分の欠点はわかってるので、埋め合わせようという努力もまあやってないこともないんですよ。私も「面白いこと」に対しては意欲が沸くので、「自分をアピールする行為自体が面白い」ような状況では結構頑張れる。
でまあそんなこんなでですね、無理やりまとめに持ってくんですが、自分探ししたいって人は、「新しい自分を見つける」のも大事ですけど、「何を持ち続けることができるか」って考えてみるのも良いんじゃないでしょうかね。うまく行けばそれが、不変な自分としての自信になる。その自信ってのは所詮幻想に過ぎないものではあるんだけど、そういう自信を持った上でなら、養老節も冷静に受け止められるようになるし、そこからさらに新しいものを探すのにも役立つんでは。