パッケージングが多過ぎる

今回の id:Chikirin エントリにはかなり異論があるなあ。

コンテンツとパッケージング (id:Chikirin)
要は、問題は「パッケージング」側にあるのだ、というお話。

まずパッケージングが重要だと言う点には同意。この辺は昔 dukeコンテンツ・パッケージングの台頭 つう話を書いてたことがあった。
次に、最近メディアの世界においては「パッケージング」で価値を出す(儲ける)というのはとても難しくなってきている てところには半分同意するのだけど、その理由について 個々人の趣味思考がものすごく多様化してきたために、お仕着せの一般的なパッケージングに満足する人がとても少なくなってきているから とするのは同意できない。私の考えはむしろ逆で、

コンテンツ・パッケージングの台頭 (Rauru Blog)
コンテンツが再現無く増えてくるとユーザはその選択に迷うことになるので、パッケージング業者によるフィルタリングに頼ることになり、必然的にパッケージング業者の影響力が強くなる

とする方に説得力を感じる。
それじゃなんでパッケージングで儲けを出すことが難しくなったのかと言うと、パッケージング自体も数が増えすぎたから 、てのが私の考え。もともと希少な資源であるアテンションの割り当てのためにパッケージングを利用するっつうのが3年前に duke がパッケージング台頭について書いたときのストーリーだったんだけど、それから3年経ってパッケージングも増え過ぎ、どのパッケージングを選ぶかという選択自体にアテンションが必要っつう本末転倒な事態になった。
例えば、Twitter てのはフィルタとして結構うまく機能するからこれ自体パッケージングと見なせなくもない。なんだけど、誰を follow するかで面白さが全然違ってくる。すると次は「誰を follow すればいいか」的なノウハウがパッケージングと見なされるようになる。ところが最近はこれも乱立気味で、そのうち「どの『Twitter でフォローすべきユーザ』記事を読めばいいか」を指南してくれる情報なんてのまで出てくるやもしれん。
さらに、なのにパッケージング産業がその価値を落としてしまったために、かわいそうに多くのコンテンツクリエーターが失業、もしくはワーキングプア化しようとしている にも同意できない。コンテンツクリエイターがワーキングプア化するのは、単に需要と供給の問題で、そこには クリエイターが多過ぎる つう根本原因がある。これはパッケージングの工夫ではどうにもならない。むしろ、パッケージングも同じ穴にはまりつつある。つまり、パッケージングが多過ぎる。