むかしむかし

こんな昔話を考えてみたんだがどうぢゃろう。

むかしむかし、あるところに、いろんな生き物が住んでいました。生き物たちは、乏しい食料を分け合って、慎ましく暮らしておりました。ところがあるとき、一匹がこういうことに気付きました。「○○と××を組み合わせれば、食料を作れるんじゃね?」
何と言う素晴らしいアイデアでしょう。しかし、うまい話には落とし穴があるものです。その方法で食料を作ると、副産物として恐ろしい猛毒がバラ撒かれてしまうのです。
なのですが、その思いついた一匹は、たまたま毒にそこそこの抵抗力がありました。毒で死ぬこともあるけど、食料製造によるメリットの方が大きかったのです。なのでその一匹は、迷わず食料製造に踏み切り、子孫を増やし、猛毒を撒き散らし始めました。
大変なのは他の生き物たちです。毒に耐性のない生き物たちは、たちまち大量絶滅していきます。生き物たちにとって悪夢のような時代が続きました。悪夢の時代が終わったとき、猛毒は世界中に撒き散らされたままでしたが、生き物たちの方が毒に対する抵抗力を身につけていました。それどころか彼らは、毒を食料にして栄養にするというパワーアップ版生き物へと進化したのです。
絶滅した生き物たちは不幸でしたが、彼らの尊い犠牲の上に生き残った生き物たちはパワーアップを果たし、ますます繁栄していくことになります。全体としてこのお話はハッピーエンドだと見なされています。

これは二十数億年前のお話です。一匹てのは後の「シアノバクテリア」で、そいつが思いついたアイデアてのは「光合成」で、そいつがバラ撒いた猛毒てのは「酸素」で、パワーアップした後の生き物は「真核生物」です。シアノバクテリア以前の地球上に存在した生き物てのはみんな嫌気性細菌で、彼らにとっては酸素って猛毒だったんですね。
何が言いたいかと言うと、「自然破壊って何よ」て真面目に考えると難しいよねえと言う話。人類がダイオキシンを撒き散らして地球環境を汚染しても、10億年ぐらいすれば「ダイオキシンが無ければ生きられない生き物」なんてのが出てくるかもしれない。そいつらにとっては、ダイオキシンに溢れた環境こそが「自然」になるんだろうなあと。温暖化すればしたで暑い地球に適応した生き物が出てくるだろうし、帰化生物と言われるアライグマだって僅か10万年もしないうちに日本列島の環境に適応して「ニホンアライグマ」とかいう固有種になっちまうだろう。生物てのは恐ろしくしぶといよ。トキとかニホンオオカミとか単一の種は簡単に絶滅するけど、そういった絶滅を含めての生物全体の適応プロセスってのは本当に力強い。「人類は地球の癌細胞」と言われることもあるけど、私から見ると「生物こそ地球の癌細胞(並にしぶとい)」と思う。
なので、環境保護ってのは、「今の地球環境って人類に都合良いので、できるだけそれを長続きさせよう」という取り組みなんだと解釈するのが、たぶん正しいだろうと見てます。それでいいんですよ。エコはエゴだって言う人もいるけど、それでいい。ダイオキシン撒き散らすのを止めると、10億年後に生まれるはずだった好ダイオキシン生物から「俺らの生まれるチャンスを奪いやがって」と恨まれるかもしれないけど、いいぢゃんそれで。まあそんなわけで、モルジブがちょっとでも長く水没しないでいられるよう、工夫しませんか。