経済関係 vs 人間関係

産業革命や資本主義の興隆によって金銭を媒体とする経済的な関係つまり「金だけの関係」が広まり「人間らしい絆やつながり」が破壊された、って見方は多いし、Internet によってそれが古き良き Tribe 社会へと戻るんだ、的な言説もよくありがちだけど、本当にそうなのかね?
私はむしろ、こういう見方の方が正しいんじゃないかと思うんだけど。

  • 「人間らしい絆やつながり」は、せいぜい数十人相手で飽和する
  • 社会が複雑化し、都市のように大勢の人間が一緒に住むようになると、人間らしい絆やつながりでは社会関係を維持できなくなる
  • 経済的なつながりで社会関係を構築するというやり方は、人間らしい絆やつながりの限界を解決するものとして導入されたんじゃないか?

て言うのはねー、「金だけの関係」ってなんか非人間的で冷たくてネガティブな印象があるんだけど、でも実は「まともに動く社会」を築いていく上では意外と重要なんじゃないかとも思うのよ。Rauru Blog で duke が書いてた話なんだけど、こんな話。

お金のいらないネットの世界 (Rauru Blog)
ところで、結構前の記事になるが、404 Blog Not Found の 理解を求めるな、報酬を求めよ も同様に興味深かった。

お金というのは素晴らしい。お互い理解不能でも、一緒に世界を作っていく事ができるのだから。
通貨経済が勝利した最大の理由はここだろう。お互いの感情や思いといったものと切り離した形で流通させられるところに、お金の良さがある。「お金で心は買えない」とは言うが、心と疎結合にできたからこそ、これだけ役に立つのだ。

んでね、よく「お金が絡むと友情が壊れる」ということは言われてて、実際私も経験があるんだけど、それは「お金がいけない」んじゃなくて「お金との付き合い方を我々がまだよく身につけられていない」からじゃないかね? これって本当に難しくて、私も全然駄目なんだけど、でもやっぱり必要なことだと思う。
そして、「Internet によって経済以外の社会関係が復活」的な言説って、「お金の難しさ」から逃げてるんじゃないかと見えることが時々ある。そしてそれは、単にお金から逃げてるだけじゃなくて、お金に象徴される「現実の人間関係の難しさ」からも同様に逃げてたりせんかい。例えばオープンソースコミュニティ界隈の人間関係の難しさとかもまあいろいろあるわな。「ぶっちゃけ金払って解決できるならそっちのがええわー」て思うこと私も時々あるし。まあ私は人間らしい絆やつながりの飽和閾値が平均より低いってこのなのかもしれんけど。
一方で、こういう「現実の人間関係の難しさ」を解決するためのツールとして Internet を使おう、てな可能性もあり得ると思う。でも現状の Internet はそうなってないよね。「簡単につながる」ためのツールではあっても、つながれるが故に生じる問題の解決は全部棚上げになってる。あと、人間関係の難しさに immune なモヒカンな人達ってのもいて、これがさらに問題を複雑にしてるかもしらん。