日本のタブーは空気

「日本のタブーは○○だ」とか言って問題を単純な一点に絞りそれだけ解決すればいいかのような言説はネット上でよく見かけるし、まあ人間の脳は複雑な思考に向かないからそういう単純な言説に飛びついてしまうのも致し方ないことかとは思うんだけど、でも私が言うとしたらこうだな。日本のタブーは「空気」だ。つまり、世間の空気に反してることは全てがタブー。

解雇規制というタブー (池田信夫)
日本経済をだめにしているボトルネックが雇用慣行だとすれば、改革のボトルネックになっているのは大手メディアだ。ウェブがそのタブーを破壊すれば、事態が変わる可能性もある。

大手メディアは単に世間の空気に阿ってるだけぢゃろ。雇用慣行も世間の空気によって守られてる、と言うか「終身雇用という庶民の幻想を守る最後の砦」としてその変革が嫌われてる。
「ロスジェネ世代にとっては、すでに終身雇用は終わっているようだ」とは言うけど、そのロスジェネ世代でも「自分の子供に就いて欲しい職業」にはダントツで公務員を選ぶんだぜ? 自分の子供のことになると「終身雇用で安定した職業に就かせたい」て幻想にしがみつくのが日本人の典型的な親心ぢゃよ。幸か不幸かロスジェネ世代は経済的理由で結婚・出産できない率が高いわけだけど。逆に考えるとロスジェネ世代の言論が先鋭化しがちなのは「まだ親になってないから」てのが理由の一端にあるっつう推測もできる。
Rauru Blog で duke が書いてたみたいに、日本文化における「空気」は、そういう幻想と反する現実を「見て見ぬふりをする」ところに本質がある。

プライバシーと空気 (Rauru Blog)
日本では、どう考えても無理があるというような虚構でも、皆が「見て見ぬふりをする」ことで虚構が維持される。その維持のために、「それは虚構だ」と指摘するような者を「空気を読めないやつ」として排除する機構が働いている。

つまり池田信夫氏みたく「終身雇用なんてもう終わりだろ」とか堂々と書く人って、世間的には「空気を読めないやつ」なのね。そりゃまあ排除されても日本的には仕方ないだろって言うか。んで、「あいつら大手マスコミは俺を排除しやがって…」的な恨み節が池田信夫ブログのルサンチマンだけど、でもねえ、日本じゃあそれって仕方ないぢゃん。悪いのはマスコミじゃなくて日本の世間全体ぢゃろ、もしそれが悪いとするならね。その日本文化の特性を織り込んだ上で逆に日本的なるものを利用するジュージュツ的マニューバーに出るか、それとも渡辺千佳さんあたりの軍門に下るか、その辺をそろそろ決断した方がいいと思うよ。ちなみに duke の解説はこう続く。

そしてこの空気は、何かきっかけがありさえすれば即座に一変する。明治維新や戦後復興に成功したのもそのお陰だろう。ただし空気の変化には、現実としてのきっかけが必要である。きっかけとは多くの場合「痛い目に遭う」ことを指す。黒船や敗戦などがそれに該当する。痛い目に遭う前に「このままだと絶対ダメになる」と論理で説明したところで、それによって日本人の空気が変わることは無い。