歩き始める勇気

前に duke から聞いたんですが、日本人ビジネスマンとアメリカ人ビジネスマンにおける仕事と目標についての考え方の違い、って話があるんだそうな。アメリカ人はいつまでに目的地に到達するかを決めて、そのための計画を立てる。日本人は「どこまで行けるかわからないけど、とりあえず歩いてみよう」と考えて歩き始める。まあ日米全ての人に当てはまるというわけでも無いとは思いますが、感覚的には結構納得できます。
広義のビジネスには自然科学とかの研究も含まれるわけですが、そこでも似たような話があります。日本人研究者はとりあえず実験してみて結果が出てからどう論文書くか考える。アメリカ人研究者はまず綿密な研究計画書を立てて(それが無いと研究費を取ってこれない)、後は実験の結果が出さえすれば自動的に論文になるぐらいのとこまで計画して、そっから実験に入る。
なぜこういう差が出るのかについての duke 的解説はこんな感じ。日本人にとって大事なのは目標を達成できるかどうかでは無く、皆が同じ方向に歩いているという状態こそ重要視される。「本当に目標を達成できるか」はむしろ考えない方がいい。真面目に考えると「実は自分は目標を達成できない」ことがわかってしまう → 歩くのをやめる人が出る → 全員一緒に歩くという集
団の和が乱れる → 日本的価値観ではそれって許されない、という構図があって、だから日本では「自分ではあまり考えない」「民衆には考えさせない」っつう思考態度に自然と向うのだ、っつう話。
まあこの duke 説が本当かどうかは何ともわからんのですが、はてな界隈で定期的に buzz る「勇気」の話が、この「どこまで行けるかわからないけどとりあえず歩き始めてみよう」つう意味での「勇気」にぴったり当てはまっておるよのう、てことを今日ふと思いましたー。日本方式・アメリカ方式のどっちが良い悪いってのは一慨には言えないんですが、まあ日本的なことは間違いないよね、と。