戦争放棄と日本人

このビートたけしの指摘は正しい。戦争放棄てのは、「戦争になったらもう後は死ぬしかない」的な背水の陣に自らを追い込み、戦争以外のあらゆる手段を用いて戦争回避のために尽力する、てのがあるべき姿だと私は思ってる。あらゆる手段と言うのは、外交や諜報はもちろん文化や宗教といったソフトパワーまで駆使して、という話で。
それが上手く行くかどうかは私にもわからんのだけど、もし日本人が成功したら人類60億にとってとてつもなく有益な前例になってただろう。失敗すれば日本人1億2千万が犠牲になるわけだけど、私は成功時のメリット×成功確率で算出されるメリット期待値が犠牲期待値を上回ると見積もっていた。常々公言してるように私は全体主義者なので、1億2千万を犠牲のリスクに曝しても60億にとってメリットになるなら当然そうすべきとの立場。
ただしこの見積もりは、成功確率がそこそこ高い、つまり「日本人は追い込まれればとんでもない底力を発揮できるだけの有能さを持ってる」との楽観的な想定に立ってのものだった。でも現実の日本人て、戦争以外の手段を尽くすどころかアメリカの核の傘の下でのほほんと暮らし、とてもじゃないけど有能さを発揮できると思えない実情。成功確率は限りなくゼロに近い。なので私も最近ようやく自分の誤りを認め、「日本人には平和憲法を持つ資格など無かった」と考えるようになった。

2chコピペ保存道場 - ビートたけし91年の発言
185 名前:無名草子さん[sage] 投稿日:2009/03/08(日) 16:32:56
ビートたけしの91年の発言〜
『大体、平和とか反戦とか口にする奴というのは自分は安全な所にいて、高みからものを見ているに過ぎない。
もし戦争反対と言うなら、自分が殺されても構わないという覚悟ができなければ嘘だね。
安全圏で言うんじゃなくて、家族全員皆殺しになっても異議を唱えませんというような状況で発言しないと。
どこかの国が攻めてきた時、家族皆でさあ殺せ、いいですよ、と言う人なら戦争反対を語ってもいいけど
自分が殺される状況なら武器を取るよ、と言った瞬間にその人は平和主義者ではなくなるんだ。
そんな日本人が表面的な、綺麗事で戦争批判をしても当事者からしたら「何言ってやがるんだ」という話でさ。
そういう偽善者は一切海外に出ないとか、もし外国行っても目立たないように黙って暮らすしかないだろう。
卑怯者には卑怯者の生き方がある。
海外で重要な立場に立つというのはとんでもない責任を負う事なんだよ。
変に関係ない所から平和だとか言うからおかしくなるんでね。そんな偉そうな事を言える民族じゃないんだよ。

憲法九条は改正するのが妥当。ただしそれは、「我々には戦争放棄するだけの能力が無かった」という日本人の敗北宣言として。平和憲法を持ったのが日本以外の国だったら、ひょっとしたら上手く行ったのかもしれない。成功の見込みが一番高そうなのはフィンランドあたりか