プルタブ集め

「プルタブを集めているヒマがあったらアルミ缶そのものを集めましょう」「寄付したかったら、自分のお金を出しましょう」と言うのは正しいけど、そういうことを言う本人がアルミ缶そのものを集めたり自分のお金を寄付したりしてるのかって重要なポイントだと思うなあ。もししてないのだったら、プルタブだけでも集める方が、ゼロよりは社会に貢献するよね。

プルタブは集めるな
「プルタブで車椅子」などということを今どきやっていたのでは、脳内お花畑と言われても仕方ないです。この記事の寄付した人たちも、まともな労働者ならちゃんとお金を寄付すればよいのですけれどね。
その上に美談にして記事にする馬鹿記者までいるというのですから、何とも言いようがありません。
プルタブを集めているヒマがあったら、アルミ缶そのものを集めましょう。それをどこかに持っていくのではなく、お金に変えましょう。寄付したかったら、自分のお金を出しましょう。
こんな常識が通用しないのも、目的を失って暴走する善意というものなのでしょうが、自己免疫疾患のようなものですので早い目に退治したほうがよいと思いますね。

もちろんこの記事を書いた人はきっと身銭を切って寄付してるに違いないと私は信じてますよ。でもこの quote を Tumblr で reblog してる人の中には、ひょっとしたら、「自分が何も社会貢献してない」という負い目を「プルタブ集めてるやつは馬鹿」と自分に言い聞かせて誤魔化そうとしてる人も1人ぐらい混じってるかもしれない。そういう人がもしいるとしたら、それはちょっとあれなんでないかい。
あと、自分で寄付したりアルミ缶そのものを集めたりしてない人でも、プルタブ集めてる人に「こうすればもっと効率的に社会に貢献できるんだよ」と情報をあげることはできますし、そうやって情報を回すことで社会貢献効率が高まるなら素晴らしいことぢゃ。自分で寄付せずとも効率アップに貢献したとなればその貢献は大なりと言えましょう。だからプルタブ集めてる人に直接連絡して情報を伝えるのはとても良いことです。しかしながら、逆にそういう人の見て無さそうなところ、むしろ「一緒になってあいつらを馬鹿にしようぜ」的な人の集まってるとこ(いわゆるネトヲチ環境)で陰口的に言い合うのは、どうなんぢゃろね。
ところで、誰も指摘してないみたいだけど、このニュースってさあ、廃棄物協同組合ってところが結構ポイントだと思うんだけど。

寄贈:ドラム缶1本分のプルタブ、障害者施設へ−−下関廃棄物協同組合 /山口
下関市古屋町の市リサイクルプラザで家庭ごみの処理などを請け負う下関一般廃棄物協同組合(河村謙一所長)が30日、同市後田町の障害者就労支援施設「うしろだ工房」に空き缶のプルタブをドラム缶1杯分寄贈した。従業員34人が缶飲料を飲む度に集めた「善意の山」。換金され、施設利用者の賃金などに充てられる。

廃棄物協同組合ってさ、空き缶の換金ルートも普通に持ってるはずで、本来だったら従業員の飲んだ缶も換金されて協同組合の収入になると思うのね。つまり、プルタブを障害者就労支援施設に寄贈するっていうのは、本来自分達の収入になるはずのプルタブ重量分の売却益を減らしてその分を寄付してるのに等しいはず。さすがに空き缶全部分の金額を寄付すると本業に差支えが出るってんでプルタブ分ぐらいを落としどころにしましょうか、って感じか。それに、単に金を寄付するより、プルタブという形で寄付した方が、日本人受けするし、ニュースとしても取り上げられ易い。だからそうしたんぢゃろうね。単にそういう話なんだと思うんだが。