得られる愛 vs 与える愛

これは多分、共同体の一員として愛されるのではなく世界に一人しかいない個人として愛されることを望むって話に帰着できるんでないかい。エンデの はてしない物語 でもイスカールのとこで描かれてた話。

無償の愛 (六本木で働いていた元社長のアメブロ)
地縁・血縁をないがしろにしているというわけでもなく、たいした努力もなしに手に入れられる無償の愛よりも、努力の結果得られる関係のほうが、なんとなく大事なもののような気がするのは私だけでしょうか。

ただ同時に、このエントリで論じられているのが「他人の愛をどう得るか」だけで、「自分が他人にどう愛を与えるか」の視点が完全にオミットされてる、っつう点が輪をかけて興味深いなー、ひょっとしたらここがホリエモンの精神構造を考える上で重要なポイントになるのかもしれんなー、みたいなことを思いました。