選択の自由(改)

一昨日書いたやつ についてよくよく考えてみると「未来の予測が外れた場合にどうするか」という論点が混じっていて、それはそれで興味深い話なんだけど、「選択の自由が人間を幸せにするかどうか」という点だけを純粋に取り出して考えるのも重要なんでないかと思ったので、そこを純化した新バージョンを作ってみた。

子供の一人が難病になった。高額の治療を受ければ治るが、そうでなければ死ぬ。両親が大変な借金をして子供に治療を受けさせた結果、難病は治り、子供の命は助かった。しかし一家は借金を背負っての貧困生活へと転落した。覚悟した上でのこととは言え。
高額の医療費を取った病院は批判されたが、病院にしても実際に高い費用がかかっており、決して悪どく儲けているわけではない。病院側はこう言う。「ご両親には『治療を受けずに子供の運命を神の手に委ねる』という選択肢もあったのです。我々は選択の自由を提供したのです」

すまん。前回よりも遥かに気の滅入る話になってしまった。でもこの「医学の進歩によって命が助かるようになってしまったが故に医療費で破産する人が続出する」てのは、特に第三世界で実際問題になっているんだそうな。そして先進国でも、例えばアメリカで 医学の進歩により体重1000g 以下の未熟児でも命が助かるようになってしまったために身体障害者が急増している という現実があるらしい。
これもいろんな視点があると思います。上記のような命のかかった場合って、命を取らざるを得ないから、実際には選択の自由なんて無いよね、てな考え方もありましょう。これも、正答の無い問題かと。