何のために謝罪するのか
簡単に答えると、「誠意を見せるため」に謝罪するのが日本社会というものでわ。
謝罪の偽装 (id:Arisan)
謝罪するからには、企業が犯した不祥事によって、実際になんらかの被害を受けた人がいて、その人に対して謝罪するということが筋だろう。
ところが、語られてるのは「世間一般に伝わるにはどうしたらいいか」ということである。いったい、何を伝えるということだろう?
この辺については、前に duke が Rauru Blog に書いた マコトとシツケ が詳しいかと。
基本的に日本人は「問題を解決しなきゃいけない」とは本気で考えてない、と私は睨んでます。日本人にとって一番重要なのは「世間様から責められないこと」なんでしょう。そして日本社会において世間が誰かを責めるかどうかてのは、「問題を解決できないから責める」んではなくて、「誠意が見えないから責める」んだと思われます。
てな考え方は、TRON坂村健の書いた文章にも容易に見て取ることができます。
時代の風:ネット時代の危機管理=東京大教授・坂村健
企業における信頼性担保メカニズムというのは、結局その会社の姿勢を理解してもらい、それをブランド化することだ。意図したかどうかは別に、松下はあの執念さえ感じさせる回収広告で、見事に「問題のある製品を出したら、最後の一台まで回収するため努力する企業です」という姿勢を周知させた。
しかし、多くの企業はそれをできずに失敗する。「ボクは悪くない。世界の反応がおかしい」と思った時、すでに自己を客観的に見られなくなっている。だから「自らニュースを広めてでも自己に厳しい姿勢を示し、信用を回復する」という発想にならない。
これは「ネット時代の危機管理」と言うより「日本型ネット社会の危機管理」と呼ぶ方が正しかろうなあ。「情報を隠すか出すか/謝るか謝らないか」って視点ばかりが語られて、「本当の問題は何で、その問題を解決できるのか」という視点が無い。実に日本的だなあ。TRON的。
だから日本では、問題は全然解決されないままだけどとりあえず誠意は見えたから終わりにしようか、てなことが多々あるよね。それが日本社会というもの。でも日本で騒がれる問題って、基本的にこんな感じなんじゃないかとも思うんですよ。
- 大騒ぎはされてるが、実際には解決されなくても大して実害が無いもの 60%
- 複雑な原因や構造的な問題を含んでおり、一企業では解決が不可能なもの 30%
- 解決が可能だし必要とされているもの 10%