押し付けられ妄想

ああー、なんかわかった気がする。「上から目線」を嫌う風潮とかもこれと一緒なんだと思った。「押し付けられている」と感じてしまう心理なんだと思う。

物語に「正解」はいらない。 (id:kaien)
以前にも書いた記憶があるが、槇村さとるの作品を読むとき、ぼくはいつもそこに「正しさ」の圧力のようなものを感じる。

私はそういうことにすごく鈍感なタイプの人間なんで、物語に正解が用意されてても、それがよもや自分に押し付けられてるとは予想もせず、「ふぉっふぉっふぉっ、槇村まだまだ青いな」とか人事のように思いながら読んでる。いや、実際、人事だし。
でもたぶん、日本のネット界ではそうでない人の方が多いんだろうなあ。何事についても過敏に「○○を自分に押し付けようとしてる」と感じてしまうんだろう。だから「スルー力」なんてものがわざわざ必要になる(実は今の今までスルー力が何故必要なのかあまりよくわかってなかった)。
なぜ日本人がそう思いがちなのかって考えてみるに、日本人は「空気を読む」ことを社会から要求されてることと関係あるんじゃなかろうか。日本社会では、相手に対して「何をして欲しい」とはっきり言葉に出して求めることをあまりせず、話を聞いた方が「自分は○○を期待されてる」と察して自発的に行動することになってる。ところがこの空気の読み方・察し方が暴走すると、「○○を押し付けられてる」という風な察し方になってしまう。という仮説を立ててみたがどうだろ。
なお、この仮説の系としては、そういう押し付けられ妄想を滅多に抱かない私と言う人間は、空気を読む能力に欠けているのだ、という推論が導かれますはい。