乗客に日本人はいませんでした

The Yellow MonkeyJam に出てくる一節でこの「乗客に日本人はいませんでした」てのがあって、いろいろと議論になる話なんですが、またコトノハで(重複コトで)盛り上がってるみたいなんで、思ったことを書いてみる。
まずざっと議論を眺めてみると、「ニュースでこういうことを言うのは日本だけだ」という否定意見があって、それに対して「渡航中の家族のことが心配なのだからニュースで報じるのは当然だ」という肯定意見があります。後者の中には「否定するのは何でも日本はダメだと見なす反日的態度だ」と否定派を攻撃にかかる声もある。
しかし、日本がどうこうという大仰な話を抜きにして冷静に考えてみて欲しいんだけど、例えば東京で事故があったとき鹿児島ローカルのTV局が「犠牲者に鹿児島県出身者はいませんでした」とか言うことがある? 無いよね。「家族の安否」ということだけ考えるなら、別にそういうのが無くても現実には足りてるんですよ。
ところが、鹿児島vs東京ということだったら無くても問題無いんだけど、日本vs外国ということになると「日本人がいなかったことを言って欲しい」という声も確かに多い。これは、「安否情報が得られるかどうか」ではなく、「気持ちとして安心できるかどうか」なんだと思われます。つまり現代の日本人には、日本vs外国という境目にはウチvsソトという感情が強く働く(情報を処理する理性ではなく感情として)。鹿児島vs東京という境目にはそういう感情があまり強くない。そういうことなんでしょうな。もちろんこれは現代の話であって、もし200年前にTVがあったら、日本vs外国よりも薩摩藩vs他の藩という区別の方がウチvsソト意識強かっただろうから、「犠牲者に薩摩藩士はいませんでした」となっていただろうことが容易に想像つく。
ついでに言えば、「日本だけだ」という点を気にする人がいるのも、「反日だ!」とヒステリックになる人がいるのも、この「日本」という括りが我々日本人にいろいろ複雑な感情をもたらしているからぢゃろうね。「鹿児島」という括りでそんなに感情的になる人はあんまりいない(全くいないわけでもないが)。
とかまあそういう考察をもたらしてくれるに至った吉井和哉はさすがよのうというあたりでまとめとしたい。

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