怖いのは Google なのか、それとも我々自身なのか


「グーグル革命」と「逆SEO」をめぐる極素人的妄想
私たちがグーグルを使うのは、グーグルが優れているからであって、それがグーグルだからではない。もっといいサービスがあれば、すぐに皆乗り換える。
(中略)
グーグルをこわがるべきなのか。実際のところ、よくわからない。
実はこういうことって無いですかね。

  • 俺は Google がすごいとは思ってない。けど、世の中の俺以外の人間はみんな Google がすごいと思ってるらしい。だからそれに対応してSEOとかしなきゃいけない。
  • 実は世の中の人って誰も Google が凄いなんて思ってない。だけど、みんな「自分以外のみんなは Google が凄いと思ってるらしい、実際みんなSEOとかしてるし、だからそれに対応しなきゃいけない」と思ってるらしい。
  • 実は世の中の人って誰も Google が凄いなんて思ってない。だけど、みんな「自分以外のみんなは『自分以外のみんなは Google が凄いと思ってるらしい』と思ってるらしい」と思ってる。

以下、超限帰納法みたいな感じでアレして。
まあこれは Google に限らず、例えば株価なんてのもそういうもんなんですけどね(いわゆるケインズの美人コンテスト)。怖がるべきは、Google 自身と言うより、我々集団の持つ循環証明・正帰還的なプロセスなんでは。「グーグルすごい」と「グーグルなんか」の二つって、一見正反対のように見えるけど、同じ正帰還プロセスが散逸系として働いた結果だと考えると統一的に解釈できる。
ああもちろん、Google の採用してるリンクアルゴリズムにそういう正帰還的な性格を強化する側面があるんじゃないかって議論は面白いかもしれませぬ。