建前を守るための法律

もっともな話だとは思う。だけど、日本における法律ってやつは、社会の現実を変えるためのものと言うより、幻想としての建前を守るためのものっつう側面が強い。実態として形骸化している法律(例:憲法第九条)の改正が強い抵抗を受けるとか。夫婦別姓がなかなか立法として実現しないのも同じ理由。「実態が悲しいことになっているからこそ、せめて建前だけでも守らないと」てな感じで却って頑なになる人が日本には多い。

青少年とか健全って何? (id:mkusunok)
例えば僕が20歳のころ干支で一回り年上のお姉さまと付き合っていたのとか、17歳で初体験とか、15歳で初○○○とか、眉を顰める向きもあるんだろうけれど余計なお世話だし、生殖能力があって色気づいているお年頃で何もしない方がずーっと不健全という気がする。娘を持っていたらまた違う意見を持ったかも知れないが、自分の息子どもが10代半ばでデートの相手ひとりいなかったら、かなり親として心配するだろう。
わたしは英語の勉強が大嫌いで中学で留年し、高校を中退し、17歳の浪人時代は勉強そっちのけで往年のテロリストや殺人犯と飲み歩いた筋金入りのドロップアウトだから、自分のことを不健全極まりない文学少年と謗られても別に構わない。
しかし同世代で僕よりはるかに健全に、ちゃんと勉強してストレートで一流大学に行き、18歳を過ぎるまで性交渉の機会に恵まれず、健気に生きてきたのに「コミュ力不足」と切り捨てられる世の中をみるにつけ、あまりに健全な青春時代を過ごすのも考えものだな、とも思わされるのである。何というか、虎穴に入らずんば虎児を得ずっていうか、出会って分かること、気づくことって諸々あるんじゃないかと思うんですよね。そこで道を踏み外すリスクだってあるのだし、自分にとって勉強になったからといって一般化できる議論でもないけど。

んで、そういう人に現実を説いても逆効果なんじゃないかと。この辺は前に duke が本家に書いてた。

プライバシーと空気 (Rauru Blog)
本では、どう考えても無理があるというような虚構でも、皆が「見て見ぬふりをする」ことで虚構が維持される。その維持のために、「それは虚構だ」と指摘するような者を「空気を読めないやつ」として排除する機構が働いている。

そしてこの空気は、何かきっかけがありさえすれば即座に一変する。明治維新や戦後復興に成功したのもそのお陰だろう。ただし空気の変化には、現実としてのきっかけが必要である。きっかけとは多くの場合「痛い目に遭う」ことを指す。黒船や敗戦などがそれに該当する。痛い目に遭う前に「このままだと絶対ダメになる」と論理で説明したところで、それによって日本人の空気が変わることは無い。