矛盾を含む倫理

倫理を矛盾の無い公理系として構築することはたぶん不可能ぢゃろな。あちこち矛盾があるけど、矛盾が表面化した際のデメリットの期待値を、規範があることによるメリットが上回る、ように設計されたアドホックな制度が倫理なんだと私は捉えてます。例えば、「人を殺すのは絶対ダメ」という公準を採用しても、「人を殺してもOK」という公準を採用しても、どっちにしても同じ程度に矛盾の多い公理系が構築されるぢゃろ。どっちを採用するかは、社会全体としてどちらが「メリット」が多いかで判断することになろうな。この「メリット」てのもまた恣意的な判断基準だけど。

チンパンジーの命は障害者の命より重いと唱えた学者がいる。 (id:kaien)
ぼくたちは人間と動物のあいだに線を引くことに慣れている。ひとはひと、獣は獣、それはあたりまえの事実であるように思える。しかし、よくよく考えてみればホモサピエンスもまた動物の一種である以上、その境界線は幻想以外の何物でもない。
考えてみよう。もし、ひととも動物ともいえないような、中間の存在がもっとたくさんいたら、と。そうしたら、動物と人間の境界線はもっとあいまいなものになっていたのではないだろうか? 動物に権利を与える、というアイディアも、それほど珍奇なものには思えなくなっていたのではないだろうか?
ぼくは別にシンガーの説を認めるわけではない。「人格(パーソン)」だけを特権化して生命を見るかれの説はやはり納得いかない。
しかし、それでもなお、かれの思想はある種の発想の転換を促してくれるように思う。本来、人間と動物のあいだに境界線はないのだ、という見方。

ただし、昔はこういう「人間と動物の境界線」という矛盾点は表面化せずに済んだんだけど、科学技術の進歩と共にいろんな矛盾点がわらわらと表面化しつつあると思う。ひょっとすると、「倫理によって人々の行動に規範を与える」という考え方自体が、遠からず行き詰るかもしれない。倫理が無くても社会が何とか回っていけるような新しいメカニズムを、そろそろ考え始めた方がいいかもしれん。