知的障害者と通潤橋

派遣に知恵遅れが結構存在すること とか 障害者の雇用の義務ってやつがあってさ とかを読んでてふと思い出した話。熊本の阿蘇山麓に江戸時代に建てられた水道橋で 通潤橋 てのがあるでそ。当時の石工技術の粋を集めて作られた逆サイホン構造で有名なんだけど、実はその建設工事では近隣の村々の知的障害者が重要な役割を果たしたって話を何かで読んだ記憶がある。
あやふやな記憶に従って書くけど、当時の日本にはゴムパッキンみたいな防水シーリング材料が無かったので、漆喰と藁をまぜて石の接合面に詰めるという方法で橋の逆サイホン管を防水した。ところがこの漆喰を詰める作業というのが気が狂うほど単調な作業で、どんな石工でも根気が続かず途中で根をあげてしまっていた。橋の建設を主導した庄屋の布田保之助は一時諦めかけたんだけど、ある種の知的障害者の人たちはそういう単純作業でも飽きずに繰り返せるということに気づいた。そこで、それまで村々で厄介者扱いされていた知的障害者の人を呼び集めて、シーリング作業を一手にやらせて、それで完成にこぎつけたと。
なんかちょっと話が出来過ぎのような気もするので実は後世の創作だったりもするんかなあと思わんでもないですが、なんせソースを私も思い出さんしな、でももし「私もその話聞いたことある」てな人がいたら詳しい情報を募集したい。