ル・ジュルナル・ド・ショパン

ルネ・マルタン・プロデュースによるショパンのピアノ独奏曲全曲を4日かけて6人のピアニストにより年代順に全部演奏するという催し、Le Journal Musical de Chopin -- ショパンの音楽日記 の29日分の公演チケットが突然降ってきたので、聞いてきました。
全部で14回の公演があるんですが、今回行ってきたのはそのうち2回で、1830〜1835年頃の作品の演奏。私の大好きなノクターンのOp27-2が入ってたのでラッキー。あと幻想即興曲とかもあった。
27-2を弾いたのは 児玉桃 さんだったんですが、やー、私のよく聞いてるポリーニとも、こないだ聞いた ケヴィン・ケナー とも、また違う。音の歯切れから言えばはっきりしてて、ケナーの方に近い。ていうかポリーニの流麗な弾き方の方が異端なんじゃないかって思い始めた。なんだけど、テンポの取り方がまたケナーとも全然違うんだよな。口で説明しずらいけど、児玉さんの方が硬い印象を受けた。やっぱピアノの音って十人十色ぢゃよねえ。
武者利光先生が「クラシック音楽は1/fゆらぎ」て言うときのゆらぎって、実は計測で確かめられてる1/fゆらぎって周波数のゆらぎだけなんだけど、テンポのゆらぎってのも重要だよね(ずっと前に id:Geheimagent が似たようなことを言ってたような気はする)。バイオリンの音色の周波数が1/fでゆらぐのは楽器特性として当然なので、演奏の個人差としてはむしろテンポのゆらぎの方が重要と言えるかもしらん。その辺は私の知る限りまだ全然研究されてないので(高速道路の車間距離のゆらぎが1/fになってることは私の同級生が卒論で研究してたけど)、誰か音楽のゆらぎを数学的に研究して欲しいところ。

しかし今回の公演もいろいろ癇に障ることが多かった。まず観客席のノイズが多い。咳はまあ季節柄仕方ないかもしれないけど、プログラム(紙一枚)をいじったりする音が多いのはなあ。でも一番頭に来たのは、16時からの公演の最後でエル=バシャがエチュードを弾き終わり、手を上に上げたけど、まだペダルは踏みっぱなしで音が残ってる、て状態で拍手が起こったこと。演奏に拍手をかぶせるなんてお前ら正気か? てな話は一年近くまえに id:s162 も書いてたなあ。
あと假屋崎省吾の「ショパンに捧げる」アレンジメントって、これどうなんだいったい。