感情と倫理

今日もサムゲタンを食べながら取り留めの無いことをつらつらと考えてたわけですが、ふと「悲しさや悔しさを覚えずに済む薬」が発明されたらどうなるんだろうかということを考えてみたので、とりとめもなく書いてみる。
死刑制度に賛成か反対かってのはいろいろ人によって意見が分かれるところなんですが、死刑賛成側の理由の一つとして「犠牲者遺族感情を考えろ」つう話は必ず出てくるわけです。確かに感情は理性でコントロールしにくいから大変ぢゃろな。
しかしふと思ったんですが、「感情をコントロールできる薬」が発明されたら、その問題については解決ってことでいいのかね? 殺人事件犠牲者の遺族が悲しさ・悔しさ・やるせなさ・怒りとかを忘れられる薬。そういうのができれば、遺族の QoL 向上にとても有効だと思うんだが。
いや、そういう薬つうか感情操作テクノロジーについては、例えばグレッグ・イーガンのSF しあわせの理由 にも出てきて、いろいろ哲学的に深いんですが、実際人間の感情がセロトニンみたいな神経伝達物質に大きく左右されてるっていう唯物論ぽい話は世間的な受容も進んできてて、例えばアメリカだと気分リフトアップのためだけにプロザック飲む人までいる始末。25年ぐらい昔の電波新聞社の「マイコン」誌でもそういう風に感情が薬物で簡単にコントロールできる世界を描くSFショートショートを読んだ記憶がある。
我々の倫理感てのは人間の感情的側面に大きく依存してるわけですが、ニューロサイエンスが今後進歩していって感情も工学的操作の対象となった暁には、倫理というもの自体の存在基盤が大きく揺らいでしまうよな、つうことをふと思いました。たぶん最初は「感情を操作する薬の服用自体が倫理的でない」つう保守的な倫理が出てくるだろうけど、それっておそらく長持ちしないだろうと私は予測するんですよ。

しあわせの理由 (ハヤカワ文庫SF)

しあわせの理由 (ハヤカワ文庫SF)