地獄への道の舗装材料

生存適者の人がご結婚なさるそうで、おめでとうございます。それはそれとして、この話。

地獄への道は「間違い」で舗装されている (id:sivad)
正面からいうとすれば、地獄への道を舗装しているのは善意ではなく「間違い」です。

私もこれに諸手を挙げて賛成します。実は半年ほど前に 2manji とゆうマイナーなサイトにこういう文章を書いたことがありまして。

善意とは、なんだと思いますか?
「地獄への道として敷き詰められがちなもの。
いや、ヨーロッパの諺にこういうものがあるんだ。
The road to hell is paved with good intentions.
日本語に訳すと『地獄への道は善意で敷き詰められている』かな。
個人個人はみんな「良いこと」だと思ってやっていることが、実はその組み合わせでとんでもない悲惨な結果をもたらしたりする。
そういうことって割と多い。
でも、だから善意なんて捨てちまえ、ってのも早計だろう。
なぜ善意が合さると地獄への道になってしまうのか。
私は、『悪人は頭を使うけど、善意の人はあまり物を考えない』という点に問題があると見てる。
悪人は悪事がバレないようにとかズル賢く頭を使って先のことまで考える。
ところが善意の人は、「私のやることは善いことなんだから良い結果を生んで当然だ」と無邪気に信じ込んで、あまり先のことを考えずにコトを進めてしまう傾向が強い。
ヨーロッパだとこういう諺があるぐらいだからそういう人って多いんだけど、日本でも負けず劣らず多い。
でもね、悪いのは善意そのものじゃない。悪いのは『頭を使わないこと』の方なんだ。
善意に知性がプラスされれば鬼に金棒だ。どうすれば善意で天国への道を作ることができるのか。
それをみんなで考えてみないか。

あとこれと関連するんですけど、「善意」を目の仇にする人をここ10年ほどの日本のネット界隈でよく見かけてて、「偽善」レッテル貼りが大好きなとかそういうやつね。20年近く昔、私が fj を熱心に読んでた頃ってそういうことそれほどなかったよなーとか年寄りの私は思うんですが、最近のこの流行はいったいどういう心理から来てるんだろう、という話には前々から心理学的に興味をもってます。本家でも mara とか duke とかが考察してるけど、まだ考察の決め手に欠けてると思う。