博覧強記の人がこの先生きのこるには

[Misc.]知識を脳味噌に溜め込むのがオタではない (幸せの鐘が鳴り響き僕はただ悲しいふりをする)
かつてのオタが文献を溜め込むだけでなく、それを脳味噌にコピーして知識としたのは検索性の向上の為と思うのだけど違うのだろうか。そしてそれは異なる作品間を縦横無尽に突っ切ったオタ思考をする為に必須の修練だったのだと思うのだけど、今や外部ストレージに保存した記憶が脳内記憶に匹敵する位の検索性を有しちゃったお陰で脳味噌側にはインデックスおいとく位で十分オタ思考が可能になっている気がする。

うむ。確かに。
ところで、ネットで検索できる時代には博覧強記の人の必要性が低下してるって話はよく言われてて、博覧強記を「ある物事について詳しく解説できる人」と解釈するならその通りだけど、しかし博覧強記の人にはまた別の使い道があって、そっちはまだ検索エンジンでは代替できてないと思う。
それは何かと言うと、一見全然関係無さそうな物事同士を結びつけて、新しい組み合わせを創造すること。
創造的思考ってのはそういう「誰も思いつかなかったような組み合わせを考える」ことなんですよね。そのためには、組み合わせの元になるモノをたくさん知ってなきゃいけない。
オタク的な知識ってのは、「単語→薀蓄→より深い薀蓄」という一方向のかっちりした流れで検索が進む性質のものだと捉えてます。そういう知識は、かっちりしている分、検索技術で容易に代替されてしまう。しかし、「概念と概念の間に共通性・関連性を見出す」というヒューリスティックな発想は、まだまだ機械で代替されるにはほど遠い状況でしょう。データマイニングとかで頑張ってはいるけど。
「創造」と言うとちょっと仰々しいですけど、「ギャグ」てのもそういう発想で生まれることが多いと思ってます。「その発想は無かった」っていう組み合わせで笑えることって結構あるでしょ。
というわけで結論。博覧強記の人は、これからはギャグメーカーを目指すべきである。