悪口祭

ああー、なるほぞ。2ちゃんねるみたいな匿名ネット掲示板に「悪口祭」の機能が求められてるんだ。

誹謗・中傷がタブーになるまでの日本の1000年の歴史をざっくりと
かつて、武士ではない庶民たちは悪口祭というイベントを各地で開催していました。公の場では誹謗中傷は決して許されませんが、匿名の、ローカルなルールを共有するグループ・集団内で悪口祭や無礼講の本音を言い合うイベントを行う、つまり、秩序維持を目的として一時的に人格の神聖性を取り払って、ワッ!とやることも必要なんじゃないかなぁと思う今日この頃です。とは言え、今の社会状況では悪口とは言わずとも本音を言い合う、というようなレベルでやるのも困難が大きそうです。

悪口祭と掲示板の決定的な違いは、悪口祭があくまで「一時的」なのに対し、掲示板だと書き込みがずっと後まで残るし、魚拓とられたり転載されたりとかするし、てのがあるんだな。書き込む方は悪口祭と同じノリなんだけど、それがもたらす影響はとんでもないものになりがち。
あと思ったんだけど、キリスト教社会で個人という概念が発達したのは信仰告白と懺悔の文化が深く影響してるって話がある。向こうでは信者と司祭の一対一の懺悔という枠組みが、日本における悪口祭のような役割を担ってたんだと思う。この文化はプロテスタント中心のアメリカでも精神科医に相談するという形で生き残ってる。悪口を言うのは特定の相手だけに、て感じか。その差が、日本の2ちゃんねるみたいなネット悪口祭になるかどうかを分けてるんじゃなかろうか。