評価を勝ち取るスキル

私の見方は少し違う。そもそも「君らそんなに評価されたいか?」てとこから話があるんだけど、順番に説明しよう。

その努力はただの自己満足。 (島国大和のド畜生)
仕事というのは「何を成したか」で評価されるものなので「努力自体は評価されない」。評価されないのが当然なのだが、最近の風潮の所為か、教育の所為か「努力自体を評価してくれ」というスタンスを見かける。
うわー!甘えてるなー!って話なんだけど。

それは、最近の風潮でも教育の所為でもなく、昔からの日本文化そのものがそういうスタンスの上に成り立ってると見るべきぢゃろうな。少し前に Rauru Blog に dukeマコトとシツケ てのを書いたんだけど(私が貸してやった本をネタ元にしてな!)、伝統的な日本人の精神性てのはこういう感じなんぢゃよ。

  • 誠意を持って頑張っていれば、いつか必ず報われる。
  • ただし誠意をカタチとして示さなければいけない。カタチを示せないと叩かれる。

「結果」がどこにも入ってないのがポイントね。こういう日本人の精神性を金山宣夫はマコト主義と呼んだ。この信仰が心の底にある限り、「俺は誠心誠意頑張ってるし、自分を犠牲にすることでそれをカタチとして示してる、だから評価してもらえるはずだ」つう考えが出てくるのはむしろ当然だと思う。
んで、duke は「日本人の精神性および日本文化は今のまま世界遺産として残すべき」とか言ってるんだけど、私の考え方はちょっと違う。「評価される側」についての私のスタンスはこんな感じ。

  • 評価は「与えられるもの」ではなく「勝ち取るもの」
  • 結果を出せば自動的に評価されるってわけじゃない。そのアピールの上手下手が評価されるかされないかを分ける。
  • 逆に、結果を出せなくても、アピール如何では評価を勝ち取れることがある。簡単じゃないけどな。
  • つまりこういうことだ。他人の評価なんて所詮その程度のものでしかない
  • 評価されなくても別にいいじゃん。他人の評価てのは、自分の価値を決めるものじゃなくて、「評価を勝ち取るスキル」の結果に過ぎないんだから。
  • まあでも「仕事が評価されなきゃ給料も上がらず生活できない」的な事情もわかる。その場合は、「評価を勝ち取るスキル」を磨くしかないだろうなあ。

日本だとやっぱマコト主義があるせいでこの「評価を勝ち取るスキル」が白い目で見られがちだけど、評価を気にする限りはこのスキルも重要だと思うなあ。
んで、この「他人からの評価」てものをどう見るかってので人を分類してみると、だいたい三種類ぐらいの人がいるんじゃないか。

  1. 他人からの評価を気にしない人。これは、他人からの評価を気にしなくても金を稼いで生きていけるだけの能力を別に持っていることを意味する。
  2. 他人からの評価を気にするし、評価を勝ち取るためのスキルに日々磨きをかけてる人。
  3. 「他人からの評価なんて気にしない」と思ってるつもりなんだけど、実際には評価を得てる人への羨望からなかなか逃れられない人。

この中でタイプ1とタイプ2の人はそれなりに幸せに生きてけるんだけど、タイプ3の人はなかなか幸せになるのが厳しそうに思う。そして日本のマコト主義はタイプ3の人を生み出しやすい。マコト主義には duke の言うとおりプラスの面も大きいんだけど、それはタイプ3の人の犠牲の上に成り立ってるっつう気がするわなあ。タイプ3の人がタイプ1ないしタイプ2に路線転換できる方法って何か無いもんだろか、と前から考え続けとるとこです。
あと、特に会社みたいな閉鎖集団内での評価ってのは、ゼロサムになりやすくて、つまり誰かに高い評価を与える場合には他の人の評価を下げざるを得ない、てな話もある。昇給の原資は最初から一定額に決まってたりするしね。全員努力したからと言って全員に高い評価を与えることは、特に金銭待遇的な面ではできない。いやー、部下を評価する側の立場って、本当につらいよ? この辺は「評価する側」としての話だけど、突き詰めてくと 身分制度の利点 とか言う話になってしまうのかもしれない。つまり、評価されなかった人をいかにして諦めさせるか。